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「歴史への招待」特集

元祖・歴史エンターテインメント「歴史への招待」。徹底した取材を元に、身近なテーマから歴史を掘り下げた番組です。現代の映像と錦絵など歴史資料を組み合わせ、効果音を巧みに使った構成や「鈴木講談」とも呼ばれた鈴木健二アナウンサーの大パネルを使った解説など、見どころがたくさん。番組は高視聴率を保ち続け、現在の「その時 歴史が動いた」に連なる歴史番組の系譜を築きあげました。当時の制作スタッフに、番組にかけた熱い思いを伺いました。

インタビュー

歴史に新たなスタイルで斬り込んだ「歴史への招待」足で稼いだ情報と鈴木アナの名調子で、一時代を築いた歴史情報番組

「歴史への招待」が誕生したのは1978年。「日本史探訪」、「新日本史探訪」と8年間続いたシリーズの後の番組として登場しました。目指したのは若い女性が面白がって見てくれるような“教養番組らしからぬ歴史番組”。そのために足を使って探し出したおもしろい題材をテーマに選びました。演出の斬新さや鈴木健二アナウンサーの名調子の解説などもあり、番組は高視聴率を得ました。番組制作の思いや当時のエピソードを、チーフ・プロデューサーの北山章之助さん、ディレクターの中田整一さん、菊池正浩さんのお三方に語っていただきました。

足で稼いだ情報が番組のすべて
──「歴史への招待」は、「日本史探訪」シリーズの後番組として誕生しました。
北山:「日本史探訪」は上品で落ちついた、いわば“芸術作品”だったんですが、そういう番組が生きられる時代というのは、やっぱり限られているんですね。テレビそのものを取り巻く時代もものすごく速いテンポで変わっていく。いわゆる大衆化・情報化というのが進んでくるとね、昔求められた番組が見られなくなる。それで、プロデューサーとして次の番組を開発する時に、やっぱりもう1回、歴史をやりたいと思って作ったのが、「歴史への招待」なんですね。
歴史への招待特集イメージ1
──「歴史への招待」で、何を変えたんですか?
北山:「日本史探訪」というのは、基本的には“トーク番組”です。だから番組の出来、不出来は、出演交渉の段階で8割方終わっちゃうんですよ。これに対して、「歴史への招待」は一言で言うなら“情報番組”です。そういう意味では情報がすべてだから、成否はディレクターの足だけです。
菊池:「歴史への招待」で、我々ディレクターは北山さんから「ファクト・ファインディング」っていうことを耳にタコが出来るぐらい言われていました。「何か事実を発見するんだ」と。で、チームの中でディレクター同士のいい意味での競争心が強くてですね、「人のやった演出とか手口というのを絶対自分は真似しないぞ、必ず新しいものやってやるぞ」ってすごく燃えていました。
北山:ディレクターたちが本当に工夫して、競争しながらやってくれました。「義経騎馬軍団」という回では、あまり日本にいない原産種の馬を探してきて、義経のころの坂東武者がよろいを着て乗ると人間プラス20キロの重さがあったということから、20キロの砂袋をかついでその馬に乗って走らせたんです。すると、もうよろよろなわけです。だから、騎馬軍団なんて言ったってね、何のことはない、これは要するに、荷物を運んだり、早く移動する手段だったんじゃないかということを実証したんです。
菊池:「旗本八万騎」の回で、担当の中澤俊明さんが「昇進院平生日勤敏翁居士」という戒名が刻まれた旗本の墓を見つけ出してきた時に、「あっ、旗本というのは江戸時代のサラリーマンなのか」という驚きがありました。すごく新鮮でしたね。歴史っていうのは時代の鏡だから、それをどう切るか、現代の新しい角度が絶対あるはずだって、みんな信じて突っ走っていました。「犬も歩けば棒に当たる」でぶちあたって、見つけてきたという感じで。

大きかった鈴木アナの存在
中田:「歴史への招待」にとって、司会の鈴木健二アナウンサーのキャラクターが、ものすごく大きかったですね。あの人、絶対トチらない人でしたから。どんなことがあっても絶対トチらない。ナレーションをやっても。これは天才ですな。
菊池:鈴木さんは、資料は一応見ておくけれども、ご自分の取材で何か必ず見つけてくるんですよ。それを、“鈴木講談”と呼ばれた立て板に水の名調子の中に、ポロッと入れるんです。我々ディレクターが用意したものが8割、あと2割をどこかから「えっ、そんな情報あったっけ」っていうのを付け加えるわけです。だから、我々も毎回の取材で「今度は絶対負けないぞ」という競争心が、常に新鮮なエネルギーになっていたんじゃないかと思いますね。
北山:いつだったかな、鈴木さんが病気で病院に行ったり来たりしたけれど、1回も休まなかった。手術をしても、病院からスタジオへ来たんです。たまげた根性ですよ。

生乾きの昭和史にチャレンジ
──「歴史への招待」の4年目に、1年にわたって「昭和史」を取り上げました。
菊池:その前の年、北山CP(チーフ・プロデューサー)が突然、「来年は昭和で勝負する」って宣言して、それで「昭和編」に突入したんですよ。
北山:ジャーナリズムの使命として、やっぱり社会的な不正義に対して、声をあげることがドキュメンタリーの役割だと思うんです。そうしたときに、我々が過ごしてきた直近の歴史、つまり昭和のついこの間の時代の中にいっぱい、告発すべき、あるいは今、学ぶべきことがあるんじゃないかなと考えたんです。
菊池:昭和が対象になって、それまでと全然姿勢が違っていきましたね。私は、昭和史をやる前年、日露戦争のテーマを担当したとき、初めて司馬遼太郎さんのところに出演交渉に行ったんです。ちょうど司馬さんが「坂の上の雲」を書き終わった直後ぐらいだったんですが、3、4時間ぐらい、こんこんと説教を受けたんです。要するに「坂の上の雲」は100年ぐらいの前の話だけど、これが結構まだ“生乾きの歴史”だと言うんです。乾燥しきってない、評価が定まってない歴史だと。その生乾きの歴史を扱う以上は相当心してやらなければならないと説教されたんですよ。日露戦争ですらそうだから、昭和史はなおさらです。そこにスリル、面白さがあるんですが。

歴史ジャーナリズムの使命
──歴史番組を制作する上で大切にしている点は?
菊池:歴史を単純に善玉とか悪玉とか、この人はこういうタイプだっていうふうに決めつけないで見ていくことです。すると、そこに我々が気づかなかったものが脈々と流れている。それに出くわしたときが、めちゃくちゃ面白い。
北山:最近、ケーブルテレビで、ヨーロッパやアメリカの歴史番組をいっぱい見ているんだけど、率直に言って、我々の方が圧倒的に取材がしっかりしている。要するにドキュメンタリーとしてきちんと作られているかが重要なんです。現代物も過去の物も含めてね。
中田:歴史番組は常にジャーナリズムですよ。どんな社会でも過去を蓄積していない社会っていうのは、必ず物事の本質を見る目を失っていくと思うし、まさに今、政治、経済のリーダーたちには危惧(きぐ)を感じます。だから、単に過去の話をやるんじゃなくて、現代に対するメッセージを投げかけていくのが、歴史ジャーナリズムの使命だと思うんです。

──とても貴重なお話しを伺いました。本日はありがとうございました。

「歴史への招待」は、多くのディレクターたちの足でかせいだ情報によって、歴史への新たなアプローチを示しました。この流れは、現在の「その時歴史は動いた」へと受け継がれています。歴史情報番組の原点を、ぜひご覧ください。
座談会の参加者・プロフィール
北山章之助さん
北山章之助さん(ディレクター)
昭和35年入局。山口局を経て、教養番組部で昭和45年、「日本史探訪」のスタートから3年間、制作を担当。昭和53年、チーフ・プロデューサー(CP)として「歴史への招待」を立ち上げる。以降、NHKスペシャルのCPやスペシャル番組部長、衛星放送局長などを歴任した。

中田整一さん
中田整一さん(ディレクター)
昭和41年入局。山口局を経て、教養番組部で昭和48年から「日本史探訪」や「歴史への招待」を制作。その後、NHK特集「ドキュメント昭和」やNHKスペシャル「ドキュメント太平洋戦争」のCPなど、主に昭和史をテーマにドキュメンタリー番組を制作。スペシャル番組部長などを歴任後、執筆活動を続けている。

菊池正浩さん
菊池正浩さん(ディレクター)
昭和47年入局。札幌局を経て、教養番組部で昭和54年から「歴史への招待」全210本のうち最多の14本を制作する。その後、CPとして「歴史誕生」やNHKスペシャル「街道をゆく」「四大文明」などを担当。現在は、NHKエンタープライズで「名曲探偵アマデウス」などを制作。
「歴史への招待」鈴木健二アナの3つの秘密
秘密1 鈴木アナの机は、本の壁になっていた?
独自の取材をして番組に臨んだ鈴木さんのアナウンス室の机の上には、常時数百冊の資料が積み上げられ、本が壁のようになっていたそう。そこには「サワルナ!崩れます。積み上げるためには高等技術が必要です」と赤インクで書かれた張り紙がしてあったそうです。

秘密2 収録5分前の謎
鈴木さんは収録5分前になると、決まってスタッフの前から姿を消したとか。実はこの5分間、鈴木さんは準備室で情報を懸命に頭に叩き直していたそうです。 「幕末の全国の石高は3043万5206石2升7合6勺でございました」 というように、立て板に水といった語り口調は“鈴木講談”と呼ばれ、「歴史への招待」の人気の理由のひとつになりましたが、それも鈴木さんのたゆまぬ努力があって実現したことだったのです。

秘密3 鈴木アナへの感謝状
病気になったときも休まず収録に臨み、常に独自の取材をふまえて解説した鈴木さん。そのおかげで「歴史への招待」の視聴率は20%近くと夜10時台の教養番組としては驚くべき数字を記録しました。番組終了の時にはスタッフたちは敬意を表して、「鈴木さんへの感謝状」という賞状を作り、手渡しました。

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